vol.218 愛はエゴを凌駕する
いくとさんからのお便り
・社会の発信する性のエゴ
・呪術師同士の愛
はい、おはようございます。
今日はですね、7月16日いくとさんからのお便りです。
『現在(23/07/16)、動画にて性エネルギーのお話をされています。私も聖なる職業について多少ながらも思いをはせメモを取っていたのですが、内容をまとめるまでには至っていませんでした。
今回スーザンさんへのご回答でヒントが得られると思い、それを受けて内容をまとめようと悠長に思っていましたら、次の動画でヒントどころか回答がいただける雰囲気。回答をそのまま受け取る前に、考えた内容を投げたいと思い急遽内容をまとめました。』
偉いね。答えを聞く前に自分なりの答えを出そうという。
あー、なんかかっこいいですね。
『(メモ)
セックスはエゴと密接に関わる行為。そこにエゴが色濃く反映されるのではないか?』
これはその通りですね。全くその通りです。
『性産業や行為自体が卑しいものと思われがちなのは、エゴを直視したくないから?自分は低俗ではないと思いたい。
娼婦は様々なエゴと対面する。
であれば、学びが濃ゆいというのは何となくわかる気はする。』
エゴを直視したくないから自分は低俗ではないと思いたいっていうのは、 要するに性的なことを低俗だと思ってんのね。そういう風に教わっちゃってんだよね。もう社会とか学校とかテレビとかなんとか。性ってのは、性に関わることってのは低俗なことなんだっていう風に教えてるわけですよ。
聖なるものとは一切教えてないですよね。削除する、排除するべきもの、 見てはいけないもの、子供に見ちゃいけませんって言うじゃないですか。
うん、そういうふうにしちゃったからね。
だからそれもエゴなんですよね。社会から受け取ったエゴ、価値観、概念。そういうのを外していかないとエゴは外れない。ということですね。
『そもそも「聖なる」とは、どういうことなのか?
・エネルギーの発散でエゴの暴走を鎮静化
・エゴを包み込むことができる?
(メモ終わり。以下、動画を受けてのまとめ)
動画で──愛というのが分かっていない──ということを受けて、「神官と地球原人の出会い」が参照になると思われました。
人々から畏怖され、尊敬される神官を唯一受け入れてくれた(という言い方で合ってるのでしょうか?)地球原人の話です。』
受け入れてくれたっていうか、受け止めることができるエネルギーを持ってる女性だよね。
神官もやっぱ男性はそんなに好きじゃないんですよ、やっぱ女性がいいと。中には違う人もいるけどね。
『私の境涯では深い事情までは推し量れませんが、生存欲求という意味でのエゴにはピュアに従いながらも、それ以外のエゴ──社会的なエゴ、ぐだぐだしたどうしようもないエゴ──を抜きにして人と人が触れ合う。そこに一瞬だけ愛の片鱗を伺うことができるのかもしれない。
短絡的であることを免れませんが、そのように想像しました。
もしよろしければコメントいただけると幸いです。』
なるほどね。
生存欲求。生存欲求ってのは、普通に肉体のエゴですよね。にはピュアに従いながらも、それ以外のエゴ、社会的なエゴをグダグダしたどうしようもないエゴを抜きにして、人と人とが触れ合う。そこに一瞬だけの…。
うん、まあそうかもしれないね。
うーん。愛の片鱗か。愛の片鱗。
人と人の触れ合いの中には、濃密な愛ってのもあるんだけどね。それを、その、人と人によるよね。
あれ、なんて人だっけな。古川がすごい好きだった人がいるんですよ、ドン・ファンの先生の。うん、ドン・ファンの先生がいるんですよね(ナワール・フリアン)その先生の先生(エリアス・エイブラー)と一緒に。その、もう1つ上の先生に弟子入りした女の子だよね。なんだったっけな、あれ(タリア)
いつも踊ってたんですよ。 エネルギーがパンパンで。あの子はかっこいいよね。
そういう呪術師と呪術師の愛っていうのは、本当の愛だよね。なんて言うんだろう。難しいな。
その女性がね、いつもね、あのドン・ファングループの中で、舞い踊ってんだよ、くるくる、くるくる。
それのワンフレーズ、 「くるくる回ってたよ、あの子は」っていうフレーズをまんだらけの、このコスチュームっていうか、なんだろう、ユニホームにプリントしてある。大好きなフレーズだったからね。
はい、今日ここまで。
https://scrapbox.io/files/664bd72866d6fe001c9c419c.png